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東大和の忠実屋、多摩都市モノレール沿いのバッセンにBCG、立川市若葉町の本屋リブレや上水幼稚園、国立の塾・国研など

日記多摩服部立川市若葉町立川市立若葉小学校1986年立川市立若葉台小学校立川市立けやき台小学校東大和市小平市バッティングセンターゲーム多摩都市モノレール玉川上水上水幼稚園2021/05/10/23:24

東大和のアイワールド、立川市若葉町つみき公園の記事へのアクセスが多いので、もっと思い出せるだけ、あの頃のあの辺の固有名詞をネット上に残しておこうと思いました。


立川市若葉町から東大和方面を臨む

◆東大和市駅近くのゲーセン、ファンタジーワールド

1986年生まれの僕が小5〜6くらいでしたかね。駅の東側から南に伸びる道路の東側にあったゲーセン。僕らは「ファンタジー」と呼んでたから、もしかしたらワールドじゃないかも。なんといってもKOF97、ストゼロ2ですね、この頃は。確か50円1ゲームなのもあって入り浸りでしたが、いま思うと治安面は悪そうな雰囲気だった記憶です。

◆東大和市駅南のハローマックと靴流通センター

ま、これはどの地域でも思い出となってる人が多いでしょう。屋根の形状でわかりますね。サンタさんがここで買ったおもちゃだった人も多いのでは?それより、何軒か隣のラーメン屋の味源、当時からあった気がしますが、2021年現在、まだあるのが凄い。

◆東大和の忠実屋とダイエー

現在はなんでしょうね?スーパーマーケットの区分だそうですが、子供にとっては間違いなく「デパート」。その後はダイエーになったところまではリアルタイムで過ごしました。向かい?が市民プール(現名称は知らない)なので、プール→忠実屋のフードコートみたいのが楽しい思い出になってます。

◆立川四中が一番ヤンキー?

みたいな風潮ありませんでしたか?次の項目に続きます。

◆多摩都市モノレール沿いのBCG(ブック・CD・ゲーム)、その近くの読む読む

できたばかりのモノレール沿いにあった(モノレール以前からあったかは不明)、今でいうGEO的な2階建てのお店。2階の古本は立ち読みし放題で通いまくりました。いずれ立ち読みができなくなり、足が遠のきました。

若葉町の子どもはこの辺に遊びに行くのがやや遠くて、お手軽な不良感を得られて大変楽しかったのです。

また、僕は中学生のときにここでカツアゲに遭いそうになり、どこ中だと聞かれたので、四中と言って難を逃れたことがあります。

また同時期に「読む読む」という新刊マンガすら立ち読みできた書店があったと思います。ただ、具体的な場所が思い出せず…。立川市幸町辺りだったかな?

◆多摩都市モノレール沿いのバッティングセンターと自動車展示場、ゲームセンター

いまは何があるところだろう。上記のBCGから立川駅方面に少し行くと、なかなかの面積の自動車展示場、バッティングセンター、ゲーセンがありました。

バッティングセンターは、あまり見ないタイプですが、通路から左右両方にマシンがあってかなりの数の打席があった記憶。ゲーセンは入るとすぐにドラムマニア。

◆当時の小川橋

立川市と東大和市の境くらいの、玉川上水に架かる小川橋、今は柵がありますが、昔はその柵がなくて、自転車の運転を横着して遠心力が働いたら、上水に落下できるくらい危なかった記憶があります。

◆ファミコンショップ「do」

僕がこの手のブログを残してる最大の理由である、「本当にネットに記述がない」ものの最たるもの。おそらく現在でもマクドナルドやらがある道路に並行するショッピングモール。その向かって最左上。確かに存在していました。

東大和な記憶があったのですが、よくよく調べてみると府中街道沿いの、小平市小川町でした。

僕はFF8をここで買いました。アーケードゲームが凄くて、当時まぁまぁ流行ってたモンスターを操作するアクションゲームやスト2が50円で2ゲームだったと思います。

その後、定かではないですが、実質似たようなGEOになったような気もします。

◆立川市若葉町のシヅオカヤ、コミュニティストア、その横のパン屋

肝心の若葉町に触れてなかった。

いまは何でしょう?グルメシティ?調べたところ単に社名変更のようですが、若葉町のあのスーパーは我々にはシヅオカヤ。その後のセイフーも少し記憶があります。

シヅオカヤを頂点とするこの商店街、今ではほとんど見ないコンビニのコミュニティストアがあり、その左が米屋、右がパン屋でしたね。

◆名前が思い出せない!オザキショッピングモールの先の駄菓子屋

れんげ保育園と向かいのオザキショッピングモール(センター?)、そこに確かにあった駄菓子屋…名前が思い出せない…。遠足はみんなそこでお菓子を買っていた。

◆若葉小学校前の「オレンジ」

現若葉台小学校の前、オレンジという文房具屋が。駄菓子屋も兼ねていたような気もしますし、なんといっても我々にはKOF97や月華の剣士やサムライスピリッツをやりに行く場所。バトル鉛筆的な教室の流行りもここで買える。

◆けやき台小学校の「きこえとことばの教室」

ちょっとアレな話ですが、町内の通ってない方の小学校に定期的に通ってました。子供の頃「ぬ」と「る」とか、「す」と「つ」を区別して発音できなくて、その訓練みたいな。

◆本屋リブレ

若葉東通りの先、リブレという本屋があって、CDのレンタルもやってました。隣には珈琲館。その隣の現オリンピックも当時別の名前でしたが思い出せず…。

◆上水幼稚園

出身園です笑。その後老人ホームかな?いま思うと滑り台などかなり危険な作りをしていたと同時に、幼稚園としては破格の面積だったと思います。また通う時は正面入り口じゃない方の出入り口からぬかるんだ道を通る方法がありました。

◆国研という国立駅の塾

最後に、中学時代の愛着がある国立から。

けっこう国立駅の塾に高校受験の際に通う人が多かったですよね。僕は「国研(くにけん)」でした。正式には国立教育研究所だったかな?

当時から塾名に副題っぽく「早稲田アカデミー」と付いてましたが、そんな感じはまったくなく、不思議な塾でした。その後、普通に「早稲田アカデミー国立校」となったかと思いますが、いま思い返してもどんな力関係・資本関係だったのかなぁ、と。とりあえず受験には成功しました。

あとこのくらいの時期、国立駅からほぼ直通みたいなディスクユニオンがありましたね!

※※※

思い出せるだけ思い出してみました!!

何の参考にもならないと思いますが、誰かが検索して、昔を共有できたら嬉しいです。あとサイクリングがてらたまにこの辺り行くことがあるのですが、「普通にまだある」がけっこうあるんですよね笑。そういうのは当然省きました。

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立川市若葉町のマルキュー、つみき公園で遊んだ1986年生まれより(現・若葉町団地公園)

日記多摩服部立川市若葉町立川市立若葉小学校立川市立立川第九中学校1986年若葉町団地公園立川市立若葉台小学校立川市立けやき台小学校2020/02/18/18:23

 立川市若葉町が僕にとって、ものごころがついて以降の最初の土地です。若葉町団地という団地の集合の一つに住んでいました。以前の「東大和のアイワールド 」の話と同様に、個人的な話でありながらも、たくさんの固有名詞を代名詞として捉え直すと、もっと、誰しもの話になる、という類の話と思って読んでもらえると嬉しいです。

 いまではかなりの面積の広場となった、若葉児童館(これは2020年現在、存続しています)に隣接するエリアは、かつて3分割された公園でした。このエリアが今回の主役です。若葉町団地公園というのが現在の名称のようです。

 そのエリアは、住んでいた団地の棟に近い側から、「つみき公園」「マルキュー」「(特に名前なし)」という愛称で我々子供たちに親しまれていましたが、現在、インターネット検索を駆使しても、つみき公園が僅かに引っかかる(立川市公式サイトドメイン上のドキュメントに名称が記載されています)だけで、マルキューは出てこないし、3つ目に至ってはそもそも名前がない。僕にしたって、いつかそれらの固有名詞を忘却してしまうかもしれない。そう思うととても怖くて、書き残しておこうと思いましたので、こうして文字を打っています。

※ちなみに「マルキュー」は意味合い的には「マルキュウ(丸球)」かもしれませんが、前者で考えてました。

 今の、そこそこの面積の広場のような情景からは想像もできませんが、現・若葉町団地公園はそれぞれ仕切られた3つの公園になっていました。自分の高校受験(2001年度)の頃には既にそうなってたかなと思います。とすると、前述の通り3分割された公園の集合体だったのがその時期にはほぼ現在の環境になっていたのかなと。真ん中に当たるマルキューは円状に小さな水色の仕切りが走っていて、それが各公園を分ける仕切りにもなっていました。その仕切りに密接して藪も生えていて、オオスカシバがよく飛んでいたり、キャッチボールをするとミスキャッチしたボールを球を見失ったりしていました。

※後日追記、思い出しました。2001年度の自分の高校受験の頃は公園が正に改修中で、今ある滑り台などが解禁になった頃だと思います。たぶん1999~2000年頃に上述の「仕切り」などが取り壊されたのかなぁ、たぶん。

 その3分割の一番東側はつみき公園。文字通り種々の色の大きなコンクリートが積み木のように組み合わさっていて、一部はトンネル状になっていたりしました。色オニに最適で、砂場もありました。つみき公園の由来はこの積み木でしょうが、このエリアには、昔はよく見た網網状の円柱や滑り台、その先の(前述のとは別の)砂場もありました。今では怪我なんてしなそうな、低い滑り台のみです。

 あと、昔は大木がありました。今のところその痕跡はありますが、なくなったことを知った時のショックは相当でした。あと南東側の道路沿いにあるビワの木、T字路の突き当たりにある公衆電話を何故かよく覚えています。

 3分割の真ん中はマルキュー。おそらく意味としては「丸球」でしょう。先ほど言ったように真円状に仕切り(一部抜けあり)があり、子ども的にはいかにも野球向き。言うても直径は40mほどでしょうが。ここは本当に円に仕切られた無障害物のエリア。ただ、ここはまったくインターネットにその名称の記録・記憶がない。

 その記録・記憶のなさに非常に焦りを感じました。僕たち、あれだけ子供のころ「◯時にマルキュー!」とか言ってたのに!!

 さて、一番西のエリアには特に名前がありませんでした。が、いま思うと一番アクが強いのがここでした。つみき公園と比べても猫のフン感が強い砂場、古き良きガッタンゴトンなシーソー、いわゆる地球儀(若い世代の人、わかりますかね?)、実際に大怪我人を出した箱ブランコ…。児童館の壁(ジグモの巣がめちゃくちゃ多い)と隣接しているのでちょくちょく壁当てをしていました。

 つみき公園とマルキューはまだ良いとして、この3つ目のエリアに「そもそも愛称・通称がなかった」という事実は、前者2つ以上に口頭伝承的で、何の記録にも残らないというリスクが高いです。悲しいです。

 うーん。感傷的に色々文字で書いてしまいましたが、ただ、やはりもっと記録に残したい。というわけで、ちょっと図をね。



 どうだ!笑。概ね合ってると思いますよ!!

 あと、ここまでで書いてないこととしては、隠れんぼやドロケイに使いやすい北側の中型樹木の並び、けっこう周囲に小道が多いこと、とかでしょうか。

 とりあえず、立川市若葉町につみき公園、マルキュー、名もなき公園があったことを最低でもインターネットに残すという、自分なりのミッションをしてみました(逆に行政的な正式名称はあるのだろうか?)。

 特に1986年前後の方たちに読んでもらいたいなぁ。今では母校は「若葉台小学校」と「台」が増えてるそうですよ。「けやき台小学校」の人たちとは「立川市立立川第九中学校」、通称「立九」で合流するんですよね。我々にとっては。

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東大和のアイワールドに寄せて

日記服部多摩東大和市アイワールド2019/03/15/00:00

 自分の記憶の話をします。なのでたくさんの固有名詞が出ます。ですがその固有名詞を代名詞として捉え直すと、もっと、誰しもの話になるのではないかなと思って書きます。ただ、とても普通に感傷的な動機で書き始めたというのが、ちょっと恥ずかしいとも思ってます。

 自分が立川市立立川第九中学校を卒業する頃、あるいは立川市立若葉小学校を卒業する頃までか、いまや曖昧ですが、ちょっと週末に両親・姉と車(その頃は旧デザインの黄色のマーチでした)で出かけるパターンの選択肢の一つが、かつて存在した東大和のアイワールドでした。

 どうやら全国的なデパート(当時の認識。いまこれをデパートとは呼ばない気がする)ではないらしく、あっさりと潰れてしまったようですが、あのスペシャル感を忘れたくなくて、こうして思い出してます。

 こういう、子どもにはわからなかったけど経営的に弱くて潰れてしまった、当時の自分にとってはワクワクの源となっていたマイナーなデパート(仮)って皆さんあるんじゃないでしょうか。

 このご時世、インターネットも知らなかった頃の話をインターネットで検索するのも倒錯してる気がしますが、探せばやっぱりあります。アイワールドが存在していた時間を断片的に僕と共有している人たちの声。

 曰く、

「毎日がお祭りみたいなカオス感」。

 そうですね。僕はアイワールドとは週末の付き合いだったので、平日はわかりませんが、あの西東京の大型店舗らしいフェス感。独特でした。

曰く、

「下校時に入口の謎のケバブ屋さんで買い食い」。

 はい。入口にそんな感じのありました。同じく下校というシチュエーションでアイワールドに行くことはなかったですけど、これが行われていたことは非常にイメージしやすい。

 曰く、

「あそこで買ったものを見ると今でも思い出す」。

 さすがにいまアイワールドで買ったものは持ってないですけど、モノと購入場所を結び付ける感傷はいつでも発生する可能性がありますよね。

 曰く、

「メダルゲーム懐かしい!」。

 トドメみたいな言葉です。特に男には。

 無駄に広い駐車場の風景。実は友だちと自転車で遠乗りしていた範囲と大きく離れていないというロケーション。帰りの車の家族の雰囲気。場合によっては外食するびっくりドンキー。その頃やっていたプレステのRPG(サガフロンティア、FF8)、好きだった異性、活躍していた野球選手。行きはしなかったけど近くにあって必ず目にしていたジーンズメイト。こういったものがそう複雑でなく絡み合っているのが、こういうアイワールド的な存在へのセンチメンタリズムだと思います。

「あの立地も含めてのアイワールド」。

 そうですね。そう頻繁に行く訳でもなく、普通なら、今ほどでないにせよルミネもあり栄えてる立川駅の方が便利だったと思います。でも、あの郊外感のある東大和アイワールドに行くってのはまた別種の思い出なんですよね。立川駅に家族で行く場合は、色んな1日の過ごし方がありますけど、東大和アイワールドに行く日は東大和アイワールドに行った日でしかないんです。プラスどこかで外食するか否かくらい。本当に特殊な体験なんです。

 そういえば、駐車場で半裸の女性が歩いていたこともありました(子どもなので必死に目を逸らしました)。いま思えば犯罪感がありますね。でもそういった小事件の積み重ねが東大和アイワールドへの未だに尽きぬ感傷かもしれません。

 自然が人工物によって壊されるのとはまた別の動揺がありますよね。こういったものが今は存在していないというのは。現在はニトリだそうですが、今度自転車で訪れてみようと思います。そこで僕は何を感じるのか…。

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